深夜のオフィスで「呪いの咀嚼音」に震えた結果、起きた悲劇
午前2時。オフィスのフロアには、僕と、向かいの席に鎮座する巨大な複合機のファン音だけが響いている。
締め切り目前、コーヒーは底をつき、目は充血し、もはや自分が何を書いているのかも定かではない。そんな極限状態で、それは聞こえ始めた。
「……クチャ、クチャクチャ……」
背筋が凍る、とはこのことだ。 無人のデスクエリア。他に人影はない。それなのに、どこからか「何かを咀嚼する音」がリズムよく聞こえてくるのだ。しかも、やけに生々しい。
(まさか……出たのか?)
会社での怪談といえば、「残業のしすぎで過労死した先代の霊が、深夜に勝手に給湯室でお茶を淹れる」といった噂は聞いたことがある。だが、今の音はどう聞いても「お茶を啜る」ような上品なものではない。まるで、湿った音を立てて何かを貪り食っている、獣のような音だ。
「……っ!」
心臓が早鐘を打つ。僕はキーボードからそっと手を離し、ゆっくりと椅子を回転させた。暗闇に溶け込むデスクの列。音は、どうやら僕の背後、休憩スペースの方角から聞こえてくる。
「クチャ、クチャクチャ……」
心霊体験というやつだろうか。もし今、振り返ってそこに「それ」がいたら、僕は腰を抜かしてそのまま心停止するかもしれない。僕は震える手でスマートフォンを握りしめ、ライトを点灯させる準備をした。これが遺書代わりだ。
勇気を振り絞る。僕は「うおおおっ!」と心の中で叫びながら、一気に音の正体へと振り返った。
「……誰だっ!」
ライトの光が休憩スペースを照らし出す。 しかし、そこには幽霊も、化け物もいなかった。
ただ、電源が入れっぱなしになっていた僕の「最新型・全自動コーヒーマシン」が、あろうことか内部で固まった古いコーヒー豆を、自動洗浄機能で必死に粉砕し続けていただけだった。
あの「クチャクチャ」という音は、機械が目詰まりを解消しようと、限界まで駆動する際の情けない軋み音だったのだ。
「……なんだ、ただの機械の断末魔かよ」
緊張の糸が切れた瞬間、僕は椅子から崩れ落ちた。 全身から汗が噴き出し、心拍数は最高潮。あんなに真剣に「霊の食事風景」を想像し、戦慄していた自分が、猛烈に恥ずかしい。
静まり返ったオフィスに、機械の「……クチャ……ガガッ……」という最後の力尽きた音が響く。 もはや恐怖心など微塵もない。あるのは、深夜2時にオフィスで機械の誤作動に命を懸けていた自分への、深い脱力感だけだ。
翌朝、同僚にこの話をしたら「それ、呪われてるよ。来世はコーヒー豆にでもなるんじゃない?」と笑い飛ばされた。
今の僕は、コーヒーマシンを睨みつけながら、ただ静かに残りの原稿を叩いている。次はどんな怪奇現象が起きるのか、もう期待さえしていない。……いや、頼むから、次はもう少し「映える」怪奇現象であってくれ。
