「お任せで」と言った結果、鏡の中に知らないおじさんがいた件
美容室において「似合うようにしてください」という言葉は、パンドラの箱を開ける呪文に等しい。それを理解していながら、日々の疲れと面倒臭さに負けた私は、つい禁断のフレーズを口にしてしまった。
「……あの、夏っぽく、似合う感じでお願いします」
美容師さんはニヤリと笑い、「任せてください、トレンドをぶち込みます!」と力強くハサミを握った。私はその言葉を「爽やかな短髪にしてくれる」というポジティブな意味で脳内変換していたのだが、鏡の中で刻一刻と行われる変貌に、後半は意識が遠のいた。
チョキチョキ、ジョリジョリ。
仕上がったのは、サイドが0.5ミリのバリカンで刈り上げられ、トップが不自然なほど立ち上がった、まるで「南国の強風に吹かれた直後のハリネズミ」のような髪型だった。鏡の中には、私の顔をした見知らぬ強烈なキャラクターが佇んでいる。
「いかがですか? 今、これが最先端の『ワイルド・アーバン・スタイル』です!」
店を出た瞬間、街中の視線が突き刺さった。すれ違う女子高生がクスクス笑い、犬の散歩中のおじいちゃんですら二度見をして首を傾げる。私は恥ずかしさのあまり、視線を地面に固定し、小走りでオフィスへ向かった。
しかし、真の地獄はここからだった。
オフィスに入ると、受付の同僚が私を見てピタリと止まった。そして、とびきり丁寧な営業スマイルでこう言った。
「失礼ですが、どちら様でしょうか? 本日はどなた様とお約束ですか?」
……同僚だ。3年も隣の席で働いている、毎日一緒にランチを食べている同僚だ。私はあまりのショックに、喉まで出かかった「お疲れ様です」という挨拶を飲み込み、「あ、すみません、今日から配属された〇〇です」と、とっさの嘘をついてしまった。
結局、その日は「新人のフリ」をして一日を過ごすことになった。誰からも「誰? あの髪型の人」と噂され、昼食も一人寂しく非常階段で食べる羽目になった。
帰宅後、風呂場で鏡を見ながら、私はバリカンを手に取った。 美容師さんの言う「トレンド」を追いかけるのは、明日からはやめよう。人生で一番大切なのは、冒険心よりも「無難なカタログ」だと悟った夜だった。
