日本一の秘境駅を目指したはずが、森の深淵でサバイバルを繰り広げた話
「日本一の秘境駅へ行こう」。そう思い立ったのは、ほんの軽い好奇心だった。 鉄路の果て、文明から切り離された場所に佇む木造駅舎。そこへ至る道は、私にとって癒やしの散歩コースになるはずだった。しかし、私の旅は、出発からわずか2時間で「観光」から「生存戦略」へと強制的に切り替わることになった。
地図という名の虚構
駅の正確な所在地まで、公共交通機関は通っていない。残された手段は、地図アプリに薄く表示された一本の山道だけだった。
「まあ、ハイキングコースだろう」
軽装備のバックパックを背負い、軽快に足を踏み出した。しかし、登山口を越えた直後、私は愕然とした。そこには「道」など存在しなかったのだ。あるのは、数年単位でメンテナンスを放棄された、倒木とシダ植物のバリケード。地図アプリの青い線は、無慈悲にも崩落した崖の真上を指し示している。
これが、デジタル化された現代における「秘境」のリアルか。私は溜息をつき、枝を払って藪をこぐ「開拓作業」を開始した。
遭遇したのは、予期せぬ「住人」
夕暮れが近づくにつれ、森の気配が変わった。鳥のさえずりが止み、代わりに耳に届くのは、藪を押し分ける低い足音だ。
「まさか……」
嫌な予感が背筋を駆け抜ける。視線の先、十数メートル先に黒い塊が動いた。野生のイノシシだ。それも、親子連れという最悪のオプション付き。目が合った瞬間、私は直感した。ここでカメラを構える余裕などない、と。
私は叫び声を上げるのをこらえ、ゆっくりと後ずさりをした。心臓の鼓動が耳の奥で爆音のように鳴り響く。バックパックに忍ばせていたのは、観光気分で買ったペットボトルのお茶と、栄養補助食品が数本。食料の備えなど、この状況では無力に等しい。
「旅の計画なんて、クソの役にも立たない」
そう呟きながら、私はイノシシから逃れるために、地図にはない急斜面の谷へと飛び込んだ。
辿り着いた「終着点」の光景
泥だらけになり、全身に植物の棘を纏いながら、私はようやく線路の音が聞こえる場所へと這い上がった。
そこには、錆びついたレールと、時を止めたような小さな無人駅が鎮座していた。周囲を山々に囲まれ、電波も届かない静寂。私が求めていた「秘境」が、そこにはあった。しかし、今の私にそれを愛でる余裕はない。ただひたすらに、砂利の上に座り込んで安堵の息を漏らすだけだった。
夕闇が駅舎を飲み込む中、遠くから列車の警笛が聞こえてくる。 文明社会へと繋がる鉄の塊が近づいてくる音を聞いたとき、私は生まれて初めて「帰れる」という事実に涙が出るほど感動した。
教訓:秘境は、優しくない
今回の旅で学んだことは一つ。「秘境」とは、誰かの日常を切り取った場所ではなく、人間が立ち入ることを前提としない「野生の領域」だということだ。
計画通りにいかないから面白い。そう言えるのは、無事に帰還できたからこその贅沢な感想だろう。次に秘境を目指すときは、せめて登山靴と、もう少しマシなサバイバル知識、そして何より「引き返す勇気」を携えていこうと思う。
帰りの列車に揺られながら、泥だらけの靴を眺めて私は静かに笑った。次にまた同じような無謀な旅に出る自分の姿が、なんとなく想像できてしまったからだ。
