記憶を売買する街:『忘れたい殺人』の代金はいくら?
ネオンが酸性雨に濡れる街、ネオ・キョウト。ここでは、苦い思い出も、愛した人の顔も、すべてが「データ」として切り売りされている。人間の脳から脳へと記憶を転送するデバイスが普及したことで、金持ちは退屈な記憶を買い足し、貧困層は生きるために自身の幸福な思い出を切り売りして食いつないでいる。
この街で最も忌まわしい商品がある。それは「他人の罪の記憶」だ。
消えた罪と、遺された死体
事件の発端は、政財界を牛耳る不動産王、御子柴(みこしば)の急死だった。彼の豪邸の地下室で発見されたのは、顔が判別できないほどに無惨に踏み潰された死体。だが、不可解なことに現場には血の跡がほとんどなかった。
現場に駆けつけた記憶捜査官のレナは、御子柴の脳内チップに残された履歴を見て戦慄した。彼は死の直前、闇サイトを通じて「ある殺人を行った記憶」を、匿名の誰かに高額で売却しようとしていたのだ。
「自分が手を下したはずの殺人の記憶を、金で他人に押し付けようとした……?」
もしそれが成立していれば、御子柴は法的に「無実」になるはずだった。記憶という証拠が脳から消滅すれば、物理的な証拠だけでは彼を追い詰めることはできない。だが、その取引が成立する直前、彼は何者かに殺害された。
「記憶のゴミ捨て場」の正体
レナは膨大な売買履歴を解析し、一つの座標にたどり着いた。街の最下層、スラムの地下深くにある「記憶のゴミ捨て場」。そこには、他人が捨てた罪やトラウマ、耐えがたい絶望をすべて引き受けて生きる男、通称「墓守」が住んでいた。
男の部屋は、無数の脳内デバイスが複雑に絡み合う巣窟だった。壁一面に表示されたモニターには、数千人分の「殺人の記憶」が並んでいる。
「なぜ、御子柴の記憶を買い取ろうとした?」レナが銃を向けると、男はぼろぼろの仮面を外し、空虚な瞳で笑った。
「金のため? 違う。僕はただ、世界の『汚れ』を集めているだけだ。御子柴は自分の犯した罪の記憶を消すことで、己を浄化しようとした。だが、そうはさせない。記憶を買い取るということは、その重圧を僕が背負うということ。罪の重さが軽くなる世界なんて、あってはならないんだ」
買い取られた記憶の代償
男の脳には、御子柴が犯した殺人の記憶が流れ込んでいた。しかし、男の脳はすでに許容量を超えていた。彼は笑いながら、自身の脳に過負荷をかけるデリート・コードを入力した。
「殺したんじゃない。彼に自分の記憶を、僕の脳の底にある『出口のない地獄』と引き換えさせただけだ。彼は自分が何をしたのか、記憶が消えても魂が理解してしまったのさ」
男の脳から火花が散り、その場に崩れ落ちた。レナが男の脳内チップをスキャンすると、そこには御子柴が殺した被害者の最期の叫びが、何重にも重なって記録されていた。
記憶の売買は、ただのデータのやり取りではない。それは、魂の売買だ。 ネオ・キョウトの夜は今日も更ける。他人の罪を金で買い、自分の心に穴を開ける者たちが、この街の片隅で静かに狂い続けている。