存在しないはずの4階:地図から消されたアパートの真実
都内某所。静かな住宅街の片隅に、その古びたアパート「コーポ・ルナール」は建っている。登記簿を確認すれば、そこは地上3階建ての建物として登録されているはずだ。しかし、現地を訪れた者の多くが奇妙な違和感を口にする。
「確かに、あの建物には4階がある」
私はその噂の真相を確かめるべく、深夜の住宅街へと向かった。
登記簿から消えた階層
現地に到着して見上げたアパートの外観は、至って平凡だった。剥がれかけたモルタルの壁、古びた錆びた手すり。入り口のポストには確かに「101」「202」「303」といった号室が並んでいる。
しかし、夜の闇に浮かび上がる建物のシルエットを数えると、明らかに屋上までの距離が長すぎる。そして何より、最上階のさらに上、窓の明かりが灯るはずのない場所から、かすかにテレビの音が漏れ聞こえていた。
私は階段を上り、3階の踊り場に立った。本来なら屋上へ続く扉しかないはずのその先に、木製の古ぼけたドアが一つだけ取り付けられている。表札には、ひび割れた黒い文字で『401』と刻まれていた。
1990年代の空気
意を決してドアを叩いた。返事はない。ノブに手をかけると、鍵はかかっていなかった。軋む音を立ててドアを開けた瞬間、私は言葉を失った。
目の前に広がっていたのは、現在の東京とは思えない光景だった。
窓の向こう側に広がるのは、今の住宅街ではない。昭和から平成初期の面影を色濃く残した、どこか懐かしい街並みだ。街灯はオレンジ色のナトリウム灯で、遠くからはポケベルの呼び出し音のような電子音が聞こえる。通りを走るタクシーの車種も、看板に描かれた広告も、すべてが「1990年代」のまま時間が止まっていた。
部屋の中には、厚みのあるブラウン管テレビ、使い込まれたワープロ専用機、そして吸いかけのタバコが乗った灰皿が置かれている。まるで、住人がつい先ほどまでそこで生活していたかのような、生々しい日常の気配が充満していた。
消えた男のメッセージ
テーブルの上には、一通の手紙が置かれていた。インクが滲んだ便箋には、こう記されていた。
『この街は、忘れ去られた人々の記憶でできている。時代からこぼれ落ちた者たちが、ここでようやく息を継ぐんだ。君もここへ来るつもりか?』
背筋に冷たいものが走った。窓の外で、古い街並みの住人たちが、一斉にこちらを振り返ったような気がした。彼らの瞳には、生気がない。ただ、懐かしむような、そしてどこか羨むような深い闇が宿っていた。
私は慌てて部屋を飛び出した。階段を駆け下り、アパートの外へと逃げ出す。振り返ると、そこにはやはり3階建てのアパートがあるだけだった。しかし、私の手元には、先ほどまで握っていたはずのない、1995年発行の古びた硬貨が、冷たく光っていた。
あの「4階」は、この街の澱みが生み出した蜃気楼なのか、それとも、地図から消されてしまった「過去への入り口」なのか。
今夜もまた、都内のどこかで、存在しないはずの4階へ続く扉が開かれているかもしれない。もし深夜、古びたアパートで「ありえない階数」の明かりを見つけても、決して立ち止まってはいけない。
一度入れば、あなたは二度と、現代の時間には戻れないのだから。