絶景はもう飽きた?「不便すぎる」秘境駅で丸一日、ただ座って過ごしてみた
スマートフォンの通知音に急かされ、最短ルートで目的地を目指す。そんな「効率」ばかりを追い求める旅に、ふと疲れを感じたことはないだろうか。
今回私が向かったのは、地図で見れば点にすら見えない、山あいの小さな無人駅だ。特急はもちろん停まらない。駅前にはコンビニも、気の利いたカフェもない。あるのは朽ちかけた木造のベンチと、数時間に一度だけ山を切り裂くようにして鳴り響く、ディーゼル列車のエンジン音だけだ。
08:30 電波が消える、ということ
駅に降り立った瞬間、スマホのアンテナが一本になった。やがて、それは「圏外」という無慈悲な表示に変わる。いつもなら焦燥感に駆られるはずのその瞬間、なぜか肩の力がスッと抜けた。
ここは、現代社会のあらゆるノイズから切り離された、物理的な余白だ。私は持参した文庫本をカバンから出し、誰の邪魔も入らない贅沢な時間のなかに腰を下ろした。
12:00 ただ、雲を数える
腹が減ったからといって、すぐに何かを食べられるわけではない。コンビニがないこの場所では、朝駅前の売店で買ったおにぎり一個が、午後の唯一の糧になる。
風が吹けば木の葉が擦れる音がし、空が動けば影が伸びる。都会では意識すらしなかった「ただ移り変わる光」の粒度を、肌で感じる。読書をするつもりで開いたページは、結局ほとんど進まなかった。一文を読み終えるたびに、遠くの山並みの色の変化に見惚れてしまうからだ。絶景スポットに行って写真を撮りまくるような忙しさは、ここにはない。
15:45 境界線を越える挨拶
夕暮れ時、数人の地元住民が駅のホームを通り抜けた。彼らにとってこの駅は「観光地」ではなく、生活の延長線上の道だ。
「今日は随分と長いこと座ってるねぇ」
通りがかった老人が、慣れた足取りで私に声をかけた。特に意味のある会話ではない。けれど、その短い挨拶が、無機質だった駅に温かみを与えた。効率的な観光地では、人は風景の一部として消費される。しかし、ここでは「人」としてそこに存在することが許されているような気がした。
18:20 「何もしない」という贅沢を抱えて
空が深い群青色に染まり、最後の列車が通り過ぎた。私は、スマホを操作することも、目的の写真を撮ることも、次の予定を立てることも一切しなかった。
手元には、指の油で少しだけ角が丸くなった文庫本と、何時間もじっと座っていたことで少しだけ柔らかくなった心がある。
現代人はあまりにも多くの情報を詰め込みすぎている。たまにはこうして、電波の届かない、何もない場所で「ただ座る」という贅沢を自分に許してみてはどうだろうか。
帰りのホーム、遠くから近づいてくるヘッドライトの明かりを見つめながら、私は確信していた。この不便さこそが、今の私にとって最も必要な「旅」だったのだと。
