偶然という名の地図を歩く。スマホを捨て、サイコロと旅した3日間
「次の電車は、どこへ行くんだろう」
そう思った瞬間、私の手にはスマートフォンがなかった。出発の朝、意図的に玄関の靴箱の上に置き去りにしてきたのだ。デジタルな予定表も、乗り換え案内も、口コミサイトの星評価も、すべて遮断した。代わりに持っていたのは、ポケットに忍ばせた一辺1センチのサイコロだけ。
ルールは単純だ。駅の改札でサイコロを振り、出た目の数だけホームを進む。そうして決まった行き先で、自分の足だけを頼りに3日間を過ごす。
第1投:迷走の始まり
新宿駅の雑踏の中、私は震える手でサイコロを転がした。「3」。 そのまま3番目のホームへ向かうと、そこには「高尾行き」の各駅停車が停まっていた。
普段なら「高尾か、山歩きか……」と事前リサーチをするが、それもできない。乗り込んだ車両の窓から見える景色が、少しずつ都市の喧騒から緑へと変わっていく。到着した高尾駅で、私は自分がどこへ行くべきかさえ分からず、ただ人の流れに身を任せた。
地図がないというのは、驚くほど不安だ。しかし、同時に世界が「未踏の地」に見える不思議な感覚がある。看板を頼りに歩き、ふと見つけた路地を曲がる。そこにあったのは、観光ガイドには載っていない、地元の人しか知らない小さな豆腐屋だった。
「どこから来たの?」と店主に聞かれ、私は「サイコロで決めました」と笑った。豆腐の優しい味が、空腹の体にしみた。スマホがあれば、ここで「高尾 観光 ランチ」と検索していただろう。だが、検索よりもずっと鮮烈な「手作りの会話」が、そこにはあった。
偶然の連鎖が紡ぐ物語
2日目も、3日目も、サイコロのままに進んだ。 ある時はバスの行き先をサイコロで決め、ある時は降りた駅の改札から見える「一番高い煙突」を目指して歩いた。
迷子になった回数は数知れない。何度も同じ道を往復し、地元の人に何度も道を尋ねた。不便だ。非効率だ。しかし、この「非効率」こそが、旅の解像度を上げていた。
スマホ画面という小さな窓を通さず、自分の瞳で空の青さを見、風の温度を感じる。道端の草花の名前も分からないけれど、そんなことはどうでもいい。ただ、その瞬間の美しさを、自分だけのものとして焼き付けていく。
旅の終わり、指先に残る感触
3日目の夕暮れ、サイコロが導いたのは海沿いの小さな駅だった。ベンチに座り、水平線に沈む太陽を眺めながら、私はこの3日間を振り返った。
情報に追いかけられる生活では、常に「正解」を求めていた。一番人気の店、一番効率的なルート。でも、サイコロが教えてくれたのは、「正解なんてどこにもない」という事実だ。迷うことは恥ずかしいことではなく、迷った先にしか出会えない景色がある。
帰路、駅のホームでポケットの中のサイコロを握りしめた。 スマホを家に置いてきたことで、私は「検索」することをやめ、「経験」することを始めたのだと思う。
デジタルデトックスとは、単にネットを断つことではない。 不確実な未来に身を委ね、その偶然を愛する余裕を取り戻すこと。
次にこのサイコロを振るのはいつになるだろう。今度はどんな景色が、私を待っているのだろうか。そんなことを考えながら、私は久しぶりに、自分の足で確かな一歩を踏み出した。
