時効の刻限に届いた「死者」からの恋文
その日の深夜0時を回った瞬間、全ての罪は法的に「消滅」したはずだった。
元刑事の佐伯は、自宅の古びたテーブルで独り、安酒を煽っていた。30年前のあの日、彼の手によって葬り去られたはずの女。彼女を殺害した疑いで執拗な捜査を受けたが、結局、決定的な証拠は見つからず、佐伯は警察を追われた。そして今夜、この未解決事件は、法律の定めた時効という名の幕を下ろしたのだ。
その時、玄関の郵便受けに乾いた音が響いた。
こんな深夜に配達などあるはずがない。佐伯は背筋に冷たいものが走るのを感じながら、重い足取りで玄関へ向かった。床に落ちていたのは、経年劣化で黄色く変色した一通の封筒だった。
差出人欄には、見覚えのある筆跡で、30年前に海に沈めたはずの名前が記されていた。
手が震える。封を切ると、インクの匂いが鼻をついた。中には二枚の便箋が入っていた。一枚目には、当時の恋人であった彼女が、佐伯の逮捕直前まで綴ろうとしていた、未完のラブレターの続きが記されていた。
「あなたに殺されるとわかっていても、私はあなたを憎めなかった」
佐伯は息を呑んだ。彼女はすべてを知っていたのだ。自分が彼女を追い詰め、その命を奪おうとしていることを。それでも彼女は、彼に対する愛を書き綴り続けていた。
しかし、二枚目の内容を目にした瞬間、佐伯の心臓は凍りついた。
『あなたが私を隠した場所、あそこはもうすぐ開発の手が入るわ。地層が削られれば、私の骨はすぐに見つかるでしょうね。でも大丈夫。あなたにだけは、誰にも見つからない場所を教えてあげる』
そこには、地図を模した緻密な図面とともに、佐伯さえも知るはずのない、山奥の深い空洞の座標が記されていた。
「なぜ……なぜ今なんだ」
佐伯が当時の遺体を埋めた場所は、彼が完全犯罪を信じて選んだ「完璧な隠し場所」のはずだった。しかし、手紙はこう結ばれていた。
『時効は法律の上の話。私とあなたの間には、永遠の契約があるの。あなたが死ぬその瞬間まで、私はあなたを逃がさない』
佐伯は窓の外を見た。暗闇の中で、庭の木々がまるで何かを待つかのように揺れている。30年前の夜の霧が、再び窓の外へ這い寄ってくるような錯覚。
法は彼を許した。だが、被害者という名の亡霊は、今まさに時効成立のその夜から、本当の「刑期」を開始しようとしている。
彼は震える手で封筒を握りしめ、かつて自分が捨てたはずの死体へと続く、漆黒の夜の道を見つめていた。その時、ドアノブがゆっくりと、しかし確実に、内側へ回された。