消えた遺書と午前0時のピアノ:なぜ名ピアニストは演奏中に命を落としたのか
世界中がその旋律に酔いしれていた、クリスマスイブの午前0時。天才ピアニスト、エドワード・V・ヴィンセントは、ショパンのバラード第1番を演奏中に、鍵盤に突っ伏したまま息を引き取った。
全世界へ生中継されていたコンサート会場は、一瞬にして凍りついた。死因は、即効性の猛毒による神経麻痺。しかし、警察の捜査の結果、ピアノの鍵盤にも、彼が口にしたグラスにも、毒の反応は一切なかった。
「彼が殺されたのは、毒のせいじゃない。あの『拍子』のせいだ」
事件の唯一の目撃者であり、演奏直前までピアノを調整していた専属調律師の老人は、震える声でそう語った。
鍵盤にはない「毒」の正体
現場に残されたのは、完璧に調律されたスタインウェイと、指揮者の譜面台に置かれたはずの、しかし今は消え失せている一通の「遺書」だけだった。
ヴィンセントは完璧主義者として知られていた。彼は死の直前、周囲に「私の演奏を狂わせる亡霊がいる」と漏らしていたという。演奏中、会場には静寂が広がっていたはずだが、調律師の証言は異様だった。
「演奏の途中、本来なら存在しないはずの『3拍子』の音が混じったのです。エドワードの指はショパンを弾いていた。しかし、私の耳には、まるで別の何者かがピアノの内部を叩いているような、無機質な音が聞こえた。エドワードはそれに気づき、恐怖に目を見開いた。その直後、彼は崩れ落ちたのです」
奏でられた「死の旋律」
検死の結果、ヴィンセントの心臓には、驚くべき負荷がかかっていたことが判明した。まるで、極限の恐怖と同時に、人間には不可能な速さで指を動かし続けたかのような……あるいは、誰かに「強制的に」鍵盤を叩かされていたかのような痕跡。
毒はどこにあったのか? 鑑識が調べ上げたピアノの内部、そのハンマーが弦を叩くアクション機構の奥深くから、微量の毒物が付着した小さな「金属片」が発見された。それは、調律師が最後に調整したはずのない、精巧に細工された仕掛けだった。
消えた遺書が告げる真実
ヴィンセントが残したとされる遺書には、こう記されていたという。
『完璧な演奏とは、魂を売り渡すことだ。今夜、午前0時に私は完成する』
彼を殺したのは毒ではない。自分自身の「完璧さ」への執着と、それをあざ笑うかのように鳴り響いた、もう一つのリズムだったのかもしれない。
事件は「自殺」として処理されかけたが、調律師は今も毎晩のように、深夜0時にピアノの蓋を閉めるという。ピアノの内部からは、今も時折、楽譜にはない「3拍子」の音が響いてくるのだと語りながら。
消えた遺書は、誰の手によって持ち去られたのか。そして、演奏中に聴衆には聞こえなかったあの音は、誰が奏でたものだったのか。
午前0時の調べが終わるたび、天才の死の謎は、より深く暗い闇の中へと沈んでいく。