鏡に映らない死体――禁断のシャッターが暴いた「入れ替わりの街」
死体安置所(モルグ)の空気は、いつでも重く、冷たい。カメラマンの佐藤にとって、その場所は「生」と「死」の境界を切り取るための仕事場に過ぎなかった。しかし、ある晩の撮影が、彼の日常を奈落へと突き落とした。
事件は、老人の検死解剖を撮影していた時に起きた。被写体は身元不明のホームレス。死後数日が経過し、顔はどす黒く変色しているはずだった。佐藤は、遺体の傍らにあるステンレス製のトレイが鏡のように被写体を反射していることに気づいた。構図として面白そうだと感じ、彼はその反射を含めてシャッターを切った。
だが、現像したネガを見て、佐藤は息を呑んだ。
現像された写真の中では、安置台の上の遺体は確かにそこにいた。しかし、ステンレスのトレイに反射するはずの「もう一人の遺体」の姿が、どこにも写っていなかったのだ。光の屈折や角度の問題ではない。そこだけが、まるで「空白」として切り抜かれていた。
「死体が、鏡に映っていない……?」
恐怖に駆られた佐藤は、その不可解な遺体の身元を独自に調べ始めた。警察のデータベースから漏れ出たわずかな情報を頼りに、彼がたどり着いたのは、とある閑静な住宅街で穏やかに暮らす一人の建築家だった。写真の中の死体と、その建築家の顔は瓜二つ。しかし、建築家はつい先週、佐藤が撮影したその死体と同時期に「死んだ」はずの人間だった。
いや、正確には「死んだことになっていた」。
佐藤が踏み込んだその街の闇は、あまりに深かった。そこでは、役割を終えた人間が「死」という手続きを経て社会から消え、別の誰かがその名前と生活を引き継いでいた。鏡に映らない――つまり、この世の物理法則から既に外れ、社会というシステムの中で「存在しないもの」として扱われている者たちが、そこには無数に潜んでいたのだ。
その夜、佐藤の自宅に一人の男が訪ねてきた。先ほど確認したはずの「死んだはずの建築家」と全く同じ顔をした男だった。男は無表情で、佐藤のカメラを取り上げた。
「君は見てしまったんだね。反射しないものを見るには、君もこちら側に来なければならない」
翌朝、佐藤の自宅はもぬけの殻となっていた。近隣住民は、佐藤という男など最初からいなかったかのように振る舞っている。
後日、佐藤が残した暗室のゴミ箱から、最後の一枚の写真が見つかった。そこには、鏡の前で微笑む佐藤の姿が写っていた。しかし、鏡の中に映っているはずの彼自身の姿は、やはりどこにも存在しなかった。
彼はもう、戻れない。この街の「入れ替わり」の輪の中に、新たに組み込まれてしまったのだ。次に誰かの鏡に映らなくなるのは、あなたの番かもしれない。